Newton の別冊「時間とは何か」を読んでると「光速度不変の原理」というものがでてくる。
光速度不変の原理とは、「光源がどんな速さで運動していても、光の速度を計測する人(観測者)がどんな速さで運動していても、真空中での光の速さはかわらない」 p54
が、論拠が書いていない。あえてそれっぽいのを挙げると
相対性理論の生みの親、アインシュタインは16歳のときに光を光速で追いかける空想をしたという。常識的に考えると光は止まってみえそうだ。
しかしアインシュタインは止まった光など現実にありえるだろうかと疑問に思った。そしてのちに、光速度不変の原理にたどり着いたのである。 p55
光を光速で追いかけるのだから、相対速度 0 !止まって見えるでいいじゃん。そりゃ秒速約30万キロの光を光速で追いかけることは、現時点ではできない。なので、実際にどう見えるのか体験しようがないわけだけど、納得いかず。GPS衛星での時計が相対論の理論値だけ遅れたことから実証されたらしいけど、なにせ高速な光速の話、測定誤差を理論値の都合のいい用に解釈したんじゃない?なんて考えに拘束されてみる。
そこで「光速度不変の原理」を偉大なるgoogle先生にお伺いしてみると、疑問を呈すもの、観測結果こそが物理の基本と肯定するもの、光速度不変の原理は実証されてないとしたうえで肯定するもの色々ある。
「アインシュタイン 光速度不変 根拠」をググってみても、ローレンツのエーテル関連の観測結果がそうだからとか光速度不変は仮定で議論の出発点に過ぎずそれ自体に意味は無い的な意見もあり根拠そのものを文献等で示したものは見つけられず。。
音速だってたかだか秒速340メートル(海面)、光速の秒速約30万キロメートルに比べたら誤差みたいなもん。だったら、光は速すぎてその差を測定しようがないから光速度不変と仮定する。そのつじつま合わせに時間を相対的なものとする。でもいいでは?
そもそも時間の相対性は、子どもと大人、熱中してる時と暇な時の感じ方とかで実感できる。むしろニュートンの絶対時間の方が仮定に基づく物理用の考え方な気がする。人を管理する上で絶対時間の方が為政者に都合良いから広まっただけで、自然とともに生きると時間なんて相対的じゃん。
まとめ
- 光は速すぎて変化がわからないから、「光速度不変」と仮定する。
うん、シロート的には これでいいや ^^;
追記:光の速度を再考
2016年9月1日に、この記事をあげてから何冊かの本を読み幾つかの動画を見た。そして光の速度に関して現在思うところは、光の速度って可変だよねってこと。光源がどんな速度で移動しても光の速度が変わらないって、そもそも光の速度が光源の速度に応じて変化してるってことじゃない?とか、重力レンズで光が曲がり、ブラックホールから光が出てこれなくなるくせに噴火するがごとく光が吹き出してみたり。光の速度が不変の原理であるならば、これらをどう説明するの?時間の相対性?じゃあ、時間ってそもそも何?ニュートンの絶対時間なら物理用の仮定だからと決まった単位、幅があるのもわかる。だけど、一般にいう時間って何で測るの?日時計?原子時計?どちらにしても、何かを基準にした相対的なものだよね。だったら、その相対的なものは何かの影響を受けるものじゃない?GPSやスカイツリーの原子時計がズレたのだって、地表との重力差により原子の振動が影響され振幅が変わっただけで、理論値の都合のいい用に解釈したんじゃない?絶対時間は何ら影響されないが相対時間は自由自在だからね。日食観測でのアインシュタイン最初の相対論が、ニュートン力学の理論値と大差ないから計算し直す。なんて話を以前に読んだので、余計にそう思う。昔の話しすぎて出典明示できないけどね。。そして光の速度が速すぎて変化がわからないから相対論のようにマクロの世界では誤差を切り捨てて不変と仮定。定数にしたほうが計算が楽だから。一方、量子論のようにミクロの世界では誤差こそ問題の中心。切り捨てることなどできない。よって光の速度は、可変。そう考えると相対論と量子論の統一理論ってのもできそうだけど。。なんにしても天才たちによる現代物理学は、ほぼ数学。物の理から外れたところの議論が多くて、シロートにはよくわからむ。
2020年5月16日 あえて、一段落で追記。
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